- 横山 佳菜子
時間制約社員への「越境」をどう乗り越えたか
私が小学校1年のとき、2カ月ほどプチ不登校になりました。
「学校に行っていない」というだけでどこからともなく湧いてくる後ろめたさ。
マジョリティからマイノリティになる息苦しさ。
今思えば、人生で初めて味わった「越境」体験でした。
最近つくづく、不登校に至る経緯も全部ひっくるめて、
これが私の原体験だなと思うようになりました。
大学卒業後、仕事の面白さにのめりこみ、
食事と睡眠以外は仕事に費やすような生活を続けて
(今のように働き方改革の波が来る前の時代)
30歳手前で結婚し母になりました。
育休からの復帰後、二度目の「越境」体験をすることになります。
時間とエネルギーを存分に注げるマジョリティ社員から、
時間に制約があるマイノリティ社員へ。
立上げフェーズの職場だったことも手伝い、
顧客に組織に自己成長にと寝る間を惜しんで激務のみんなと、時短の私。
産前はそちら側の働き方をしていただけに、
自分の変化した働き方を肯定できずに悶々とした日々を2-3年(長!)過ごしました。
吹っ切れたのは3つのきっかけがありました。
1つ目は大きなプロジェクトをやり遂げたこと。
大変な紆余曲折(涙)がありながらも、プロジェクトの成功だけを目指して、
お客様と一蓮托生でやり遂げた達成感を味わったとき。
仲間になれるかどうかは時間の長短でも所属組織の別ではなく、
仕事にどれだけ深くコミットしているかだと、
初めて腑に落ちた私がいました。
2つ目はサードプレイスの存在。
当時どのワーキングマザーもそうだったと思いますが組織内ではマイノリティ。
モヤモヤのはけ口を外に求めた私は、社外のワーキングマザーたちとのコミュニティへ。
語り合っていく中で、それぞれの悩みに深く共感し応援しあう一方で、 「同じ事象に対する受け止め方がここまで違うんだ」と
組織ごとに全く異なる境遇、しきたり、プロトコルに驚きました。
それまでの私は、どこか自分の組織がすべてで、
それゆえにその組織の”当たり前”に反する自分が怖かったけれど、
「ああ、自分の”当たり前”は創られた”当たり前”だったんだなあ」と
視界が拓けていく体験をしました。
3つ目は”ここ”で働く理由が明確になったこと。
復帰後、事あるたびに
「子どもを預けてまでやる価値がある仕事だろうか」と何度も思いました。
(前職の皆さんすみません。時効で!)
ここで働いていることを自分で選んでいるはずなのに、ブレブレ。
自分がやっている事業や仕事の意味を実感できないと
限界かもしれない…と思っていたころに持ち上がった、
事業部のミッションを見つめ直すプロジェクトの立上げ。
プロジェクトメンバー同士で想いをぶつけ合うプロセスを通して
自分のWillに重なる事業部のWillが言葉になったことで、
迷いがすーっと消えていきました。
Willが重なったからこそ、学びたい・力を磨きたい欲求に火がついて、
仕事ばかりしていた産前よりも知見を広げることに貪欲になりました。
学びを求めて外へ。土日に子どもたちを夫に託して
社外の講座やワークショップに出かけていきました。
そこで得た学びや繋がりが自分の価値を高め、
社内で新しい役割にチャレンジできるようになったころには、
時間制約を持つマイノリティ社員という事実は変わっていないのに
あれほど強かった他の仲間との間にひかれていたラインは消えていました。
(もちろん職場の皆さんの理解や思いやりが前提にあり、感謝しかありません。)
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トランジション3段階説を唱えたウィリアム・ブリッジズは、
人生の大きな転機によって新たなフェーズに移るとき
一足飛びで次のフェーズに移るのではなく
「何かが終わり」「ニュートラルゾーンに入り」「そして初めて次の何かが始まる」
と言っています。
先のわたしの3つの出来事は、
慣れ親しんだ仕事や組織との繋がり方の「終わり」を自分自身が受け止め、
新しい繋がり方へのラインを「越える」きっかけを与えてくれました。
そして、今となっては、こうした越境体験こそが
私の成長や成熟を後押しし、いまの私を形成してくれたと感謝しています。
あなたはどんな越境体験がありますか?
それはあなたのキャリアにとってどんな意味を持ちますか?