• 横山 佳菜子

その習慣は必要なものですか?

こんにちは。横山佳菜子です。 

今日は夫の誕生日です。


が、お祝いは週末に済ませたので、普段の日常として過ごそうと思っていたところ、朝起きて、こんな会話がありました。


子「今日はお父さんの誕生日だね!どうやってお祝いする?」

私「今日は何もしないよー。週末やったでしょー」

子「えー?でもそれじゃ寂しくない?ケーキとろうそくとかやろうよー」

私「ケーキ家にないよ。それに今日は買いにいく時間ないよ」

子「えー?帰りにコンビニやスーパー寄れるでしょ?」

私「今日はお仕事が夕方まであるから寄ってる時間ないし」

子「行けるよー。だって俺たち留守番しているし…」

私「…」


自分が食べたくてケーキを主張している匂いもプンプンしますが(笑)、私自身はあることに気づかされた会話でした。


それは、私自身が「帰りに寄り道はできない」と思いこんでいたことです。


私はもともと、

私の退勤時間(定時ダッシュ)⇒電車⇒最寄駅から保育園(学童)への移動⇒保育園(学童)の閉園時間

に5分のバッファもないような生活をしていたため、「帰りにちょっと寄り道」はけっこうな禁じ手でした。


今すぐ絶対に欲しい生活必需品(納豆や牛乳など)が切れた場合にのみ、最寄り駅のコンビニにダッシュで駆け込み、迷わずに必要な商品を掴み取り、1分で会計を済ます勢いでした。


でも、今や、子どもたちは二人で学童から帰宅し、あらかじめ渡してある家の鍵で入り、留守番ができます。


あまりに長い時間を子どもたちだけで過ごさせるのは心配(おやつを食べ尽くすんじゃないかとか…笑)ですが、1分1秒を争うことはありません。


そうかー。それなら、帰り道にケーキを買って帰ることはできるよね、と。子どもの主張はあながち間違ってはなかったのです。



📷​​SMLXL 📷


そんな今朝のやりとりから感じたことですが、


私たちがこれまでの日々の中で当たり前に行っている「習慣」は、それを始めたときの何らかの「前提」に立っている。


一方、

その前提は変わっているのに、「習慣」だけが残っていることって多いのではないかな、ということです。


上記の例で言えば、お迎え時間までに余裕がないという前提のもと、寄り道はしないという習慣ができた。


で、子どもたちが少し成長した今、お迎えはMUSTではないという前提に変わったにもかかわらず、寄り道はしないという習慣を守り続けることに疑問を持っていなかった。


以前、聞いたことのあるエピソードで、赤ちゃんが生まれてすごくお世話に手を取られて料理に手が回らなくなった女性が、カレーを作るのにお肉や野菜を油で炒める工程を省く作り方を発明。


それが習慣化して、子どもが赤ちゃん期を脱してもずっとその作り方が定着していたところ、ある日遊びに来ていた親が「変な作り方するね」と言われてハッとした、と。


よくよく考えてみたらもう炒めるくらいのひと手間はとれるのに、と思い、また意識的に作り方を変えたとか。



他にも、仕事の進め方や働き方、職場での自身の振る舞い、対人関係で気を付けていること、などなど、たくさん出てきそうです。(個人だけでなく組織単位でもありますよね~)


時間の経過とともに自分にとって当たり前の習慣になってきたことが、時間が経過したからこそもう今の自分には必要ではなくなっていることも実は多くあるのではないでしょうか。


習慣は、ご自分の日常にぴったりとはりつきすぎていて見えにくいもの。


だからこそ、習慣を意識化し、現在の自分にとって必要かどうかを見直すことは、毎日の充足度にも繋がっていきます。「自分を縛っているのは自分」ですし、「自分を創り上げるのもまた自分」なのですよね。


皆さんが当たり前にしている習慣は何ですか?



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